江戸・東京 品川区の歴史散歩
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関東で最も古い不動霊場で、江戸五色不動の筆頭。江戸近郊の参詣行楽として賑わいました。
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旧東海道・品川宿の歴史散歩Part1
中世以来、品川は、漁業などで繁盛していた湊町として有名であった。
目黒川などの利点をいかし武蔵野平野全体への物資の集散拠点として栄え、廻船問屋や海産物問屋として成功をおさめた多くの行商が誕生し、その富によって寺院・神社がいくつも建てられた。
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旧東海道・品川宿の歴史散歩Part2
御殿山の桜、海晏寺の紅葉など、四季を通じて品川宿は江戸市中からの行楽客で賑わった。
江戸幕府は慶長六年の東海道開設当初から宿駅の飯盛女は、許可制であったが、暗黙の了解で無許可を容認していた。ところが、享保三年(1718)に従来の方針を改革し、東海道の各駅の旅籠に、1軒につき二人ずつの飯盛女を置くことを許可したのである。 》続きを見る |
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荏原、小山、西五反田の歴史散歩
文献における「荏原」の初見は、万葉集の東歌で、荏原郡の防人やその妻が詠んだ歌があるほど古い地名です。いまでは、品川区内の町名のひとつにしかすぎないが、もともとは律令制度下の郡名でした。地名は一説に荏胡麻(シソ科の一年草で「え」「しろじそ」「じゅうねん」とも呼ばれます)の繁茂する原に由来すると言われています。
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旗の台、中延、二葉、西大井の歴史散歩
「旗の台」もしくは「旗岡」という地名は、平安時代に源頼信が下総の平忠常の乱を平定に赴く際、旗岡八幡神社辺りの台地に陣を張り、源氏の白旗を立て、夢のお告げで得た持参の八幡大菩薩の神像を祀って戦勝を祈願したことからと伝えられている。
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