久が原、嶺町の歴史散歩


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西部八幡神社
  久が原は古代遺跡がある町として知られていて、「久原小学校内遺跡」は1978年(昭和53年)に発掘調査され約25000年前の地層から炉の跡が確認されました。(先土器時代) 「千鳥久保貝塚」は、久が原4丁目から南久が原1丁目(現:大森7中グラン ド周辺)で縄文時代中期〜後期(5000〜3000年前)に出来た遺跡です。1〜2世紀の弥生時代後期には現在の久が原4丁目〜6丁目に当たる台地に大規模集落があり、この地からは多くの竪穴式住居跡が発掘され、およそ33000坪に千軒を越える住居跡が存在すると考えられています。「久が原遺跡」と名付けられたこの遺跡は1927年(昭和2年)に発見され、1939〜1940年(昭和14〜15年)には出土した土器が「久が原式土器」と定められ「久が原遺跡」は標式遺跡(ある年代の特徴を備えた基準となる遺跡の事)に指定されました。
 
 また、1644年、馬込領久ヶ原村が関東郡代伊奈忠治の手代長谷川五左衛門・岩瀬源兵衛・大橋弥左衛門・安田与惣兵衛らにより検地され、この頃同村の131石余の地は増上寺隠居料となります。


 「東部八幡神社」と「西部八幡神社」

 
 東部八幡神社
 東部八幡神社は、宇佐八幡宮より勧請といわれ旧久々原村の村社。江戸期に久々原村が馬込と六郷の2郷に分割されたため、以降は馬込郷久々原村の鎮守となった。
 社殿は古く、文久二年(1862)の建築とされている。入母屋造りで屋根は茅葺き、軒廻りは蟇股(かえるまた)、斗供(ときょう)などが造られて美しいものである。
 大田区でも貴重な建物(指定文化財)である。西部八幡神社 
 




 
 
 西部八幡神社は、江戸期に久々原村が馬込と六郷の2郷に分割された、六郷の鎮守となった。
 神社の隣は公園になっており、子供たちのはしゃいでいる声であふれていた。

海雲寺

海雲寺

 「品川の荒神さん」として知られ、火と水、台所の神様として親しまれています。



嶺町の御嶽山神社

 嶺町 御嶽山神社
 東急池上線、御嶽山駅を下車してすぐに御嶽山神社があります。1535年頃から御嶽神社として創祀されたと伝えられ1818〜30年には、木曽御嶽山の修験者一山(いっさん)行者によって、この神社が木曽御嶽大神の示現の社であることが明らかにされました。
 一山は寝食を忘れ神徳の宣揚に勤めたために、村民をはじめ関東一円に崇敬者が激増し、1831年に現在の社殿を建立しました。
嶺町 御嶽山神社 社殿





 
 御嶽山神社本殿の周囲には、宮大工・藤原篤意が1831年に制作したみごとな彫刻が施されています。
 浦島太郎、養老の滝、司馬温公甕割り等、和漢の物語、故事にちなんだものが描かれており、大田区の指定文化財になっています。

安詳寺

安詳寺 
 安詳寺は、1629年に安詳院日憶上人により開山された寺院。
 大正15年に大改築を加えたが、昭和20年戦災のため全焼。40年本堂・山門・客殿・庫裡・鬼子母神堂と徐々に再建した。
 地元では、「赤門の寺」と呼ばれている。

天祖神社

嶺町 天祖神社 
 毎年4月21日に1年の豊作と厄払いを祈る例祭「禰宜(ねぎ)の舞」が、西嶺町の天祖神社で奉納される。江戸時代から続く伝統的な神楽で、昭和初期までは多摩川沿いの神社を中心に約20か所で行われていたが、現在都内では天祖神社でしか見られない貴重な例祭。

白山神社(嶺の庚申塔)

 嶺町 白山神社 
 創建年代は不明であるが1661年頃創設と伝えられています。
 道饗神社を合祀した白山神社で、環状八号線沿いに鎮座しています。
 女体権現社と呼ばれていたそうです。
  


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