碑文谷、南、目黒本町の歴史散歩

 
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すずめのお宿緑地公園
 江戸期の目黒六ヶ所村のひとつ碑文谷は、タケノコをはじめ米麦、野菜の栽培が盛んでした。
 碑文谷の地名の由来には多くの説があります。
 1.鎌倉街道沿いの道に梵字が刻まれた「碑文石」埋まっていたためついた説。碑文谷とは、碑文を彫った石のある里(谷)を
  意味するという。
 2.碑文谷の地は、鎌倉街道沿いで発展していたため、鎌倉・室町時代のころから檜物の職人がいて、それが地名になったと
  いう説。檜物とは、神社の柄杓、三宝や佃煮の容器などのこと。
 3.円融寺の隣に立っている碑小学校の八十五年史によると、「世田谷城名残常盤記」に、秘文の谷(ひもんのや)が語源で、
  その中の「ん」が消音されて、「ひものや」となり、それに碑文谷の漢字が当てられたという説があるという。
 4.江戸初期、鉱山採掘の方法を教えたポルトガル人ヒモンヤスきているという説。
  碑文谷は、目黒区内でも古い歴史を持つだけに多くのいわれがあるのだと思います。


 円融寺

 
円融寺 はじめは、妙光山法服寺と称し、仁寿三年(853)に慈覚大師が法服寺を建立したという。弘安六年(1283)に日蓮の弟子の日源により、日蓮宗に改宗した。
 江戸時代には吉良氏や徳川氏の庇護を受け、寺領19石を拝し、末寺75ヵ寺を数える大寺院であったが、日蓮宗不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け、元禄十一年(1698)改宗を余儀なくされ、天台宗寺院となった。
 仁王門をくぐりぬけた場所に立つ釈迦堂は木造の建設物として都内最古のもので、国の重要文化財となっている。また、仁王門に安置されている同じく木造の金剛力士像は都指定の有形文化財である。
金剛力士像は、「碑文谷の黒仁王さま」とよばれ、江戸庶民の信仰を集めていたという。

海雲寺

海雲寺

 「品川の荒神さん」として知られ、火と水、台所の神様として親しまれています。



 円融寺 日源上人五重石塔 梵鐘

 
円融寺 日源上人五重石塔 梵鐘
 
 日源上人 は碑文谷法華寺の開祖ですが、死後は追善供養も催されず遺骨も散乱状態にありましたそのため、心を痛めた法華寺の日瑞が寛永13年に石塔を建て日源上人を手厚く供養したといいます。
 五重塔になっているそれぞれの石には、「妙」「法」「蓮」「華」「経」と刻まれ、最下層の軸石には由来や造立者などが刻まれている。

 飯田善兵衛宗次作の梵鐘は、寛永二十年(1643)に鋳造されたもので、総高151cm 口径91cmである。
 これと同型で同時に造られた梵鐘が上野谷中の天王寺(旧感応寺)にあったが明治維新彰義隊の戦争の際に失われたという。

式亭三馬の墓

式亭三馬の墓
 江戸時代後期の戯作者である式亭三馬。19歳で処女作「天道浮世出星操」を著し、寛政十一年「侠太平記向鉢巻」を発表したところ、モデルにされた火消し人足とトラブルをおこした筆禍事件でおとがめを蒙ったが、これをきっかけに作者としての名声を確立することとなった。
 墓は元亀三年(1572)に、現在の千葉市に創建された「泉蔵院」がはじめだといわれる碑文谷にある正泉寺にある。

法界塚

法界塚
 円融寺の東門近くにあり、江戸時代から除地(租税を免れる土地)となっているので、由緒ある古塚である。円融寺の経塚か、5〜6世紀の古墳と思われています。
 また、隣に立っている鬼子母神堂は元和二年(1616)、安藤藤八郎が十羅刹女、鬼子母神を祀って創立したものです。
 

高木神社

高木神社
 碑文谷八幡宮のすぐそばに建つ高木神社。創建は不明ですが、碑文谷村の子之神集落の守護神として、「第六天」と呼ばれ、農村の水神として、また霊験あらたかな神様として崇敬されていました。
 明治に入り、高木神社と名づけられ、境内には天明八年刻名の道標があります。

碑文谷八幡宮

碑文谷八幡宮
 創建が鎌倉時代とも室町時代ともいわれはっきりしていない碑文谷八幡宮だが、古くから碑文谷の鎮守として多くの人たちから崇められてきた。
 碑文谷の由来といわれている梵字が刻まれた「碑文石」が社殿の右側に置かれています。
 また、勝海舟が筆を執った「八幡大神」の額が残っています。

サレジオ教会



サレジオ教会
 昭和二十九年にイタリアカトリック教団によって完成したサレジオ教会。ミラノの信者ガルトルッコ氏により寄付された36mにおよぶ鐘塔、ロマネスク様式の大聖堂。大聖堂の中はイタリア産大理石で、美しく装飾された祭壇と色鮮やかなステンドグラスで飾られている。。礼拝堂の壁には「江戸のサンタ・マリア」と呼ばれる聖母を描いた銅板画が飾られている。銅板画は、江戸時代に鎖国の日本に入国したが、捕まって殉教したイタリア人神父が所持していた聖母ガを複製したものになる。

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すずめのお宿緑地公園

 すずめのお宿緑地公園
 東急東横線、都立大学駅より徒歩15分程度のところにあるすずめのお宿緑地公園は、美しい竹林が広がる公園です。
 この付近は、江戸時代からタケノコをはじめ米麦、野菜の栽培が盛んで、昭和のはじめ頃までよいタケノコがとれたといいます。竹林には数千羽のスズメが住みつき、朝飛び立ち、夕方帰ってくることからすずめのお宿となったそうです。



少女と古民家
 公園内には、江戸時代中期に建てられた、衾村の旧家 栗山重治さん宅を移築・復元し、農村だった当時の暮らしぶりを再現している、区指定文化財の古民家があります。


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